病理医の論文作成(我流作成法)
論文など書いている医者に良い医者はいない等という言葉をよく耳に しますが,詳細な検索結果を後世に残す症例報告は,病理医の仕事とし て重要な事だと思います.現在病態が明らかとなっていない症例を報告 し,この報告された論文を積み重ねることで,将来,新たな疾患単位を 確立することができるかもしれないのです.また,症例報告以外の医学 研究も人類に健康でより良い生活を与えてくれます.このため,医学研 究は必要不可欠なものであり,日本国内でも多数の研究者が様々な施設 で研究を行っています.しかし,医学研究は医学研究に触れたことのな いものにとっては内容が複雑で理解しにくいため,多くのヒトにとって 「よく分からないけどとにかくすごいことをやっているのだろう」「な んだか得体の知れない人体実験をやっているのだろう」と感じるのでは ないでしょうか. 医学研究にはどのようなものがあるのでしょうか.大きく2つに分類 すると医学研究には基礎研究と臨床研究と呼ばれるものがあります.基 礎研究は主に動物(ヒトを含む)の細胞,動物の固体を用いて実験を行 います.このような実験を通して,正常の動物に備わっている機能でメ カニズムのわからないものを明らかにしたり,病気などの原因をつきと めたりします.臨床研究では基礎研究で明らかとなった結果をもとに, 病気の治療を確立していきます.そして,研究のスタイルには,世界中 で誰も行ったことのない新しい実験を行って新説をうち立てるもの,ま た,他人がうち立てた新説を再確認するものがあります.どちらも必要 なことですが,新しい説を立てるほうが格好良い感じがします. 実際の医学研究者はどの様に研究に関っているのでしょうか.研究を 行う人には,大学および研究施設の教授,助教授,講師,助手などの施 設からお金をもらって研究を行う者,研究生,大院生,大学生などの様 にお金を払って研究を行う者がいます.「お金をもらって研究を行う者」 と「お金を払って研究を行う者」が混在で研究を行っています.「お金 をもらって研究を行う者」は,「お金を払って研究を行う者」に実験方 法,実験結果の解釈,論文の作成方法などを教えるのが一般的です.し たがって,「お金をもらって研究を行う者」は教育者でもあるのです. もちろん,「教わる者」が「教える者」を追い越し,素晴らしい研究成 果をあげる事もしばしば見られます.これは大変良いことで,日本の研 究レベルの上昇につながっているのです. 私の研究室の専門分野は「脳腫瘍」です.先代の教授が日本の脳腫瘍 研究の草分けで,第一回のWHOの国際脳腫瘍分類会議に日本の代表とし て出席しました.そして,現在の教授も先代を受け継ぎ脳腫瘍の第一人 者として日本の脳腫瘍診断学をリードしています.その中で,私は脳腫 瘍研究を中心として,腫瘍の細胞周期関連蛋白の発現異常を解析してき ました.細胞周期関連蛋白の中でも私が専門としている分野は,がん抑 制遺伝子の研究です.研究方法は以前にお話しした免疫組織化学を用い たものが中心で,必要な時にはmRNAやDNAの解析も行います. 私の研究の進め方は,まず始めに脳腫瘍の標本を過去10年ぐらいにさ かのぼって各腫瘍の症例を10〜20例ずつ集めます.次に,HE染色標本を 観察し,できる限り典型的な症例のみにしぼります.なぜ典型的な症例 にしぼるのかといいますと,腫瘍の組織像には大変な幅があり,同じ診 断名(腫瘍名)が付いていても,均質な疾患群を集められないからです. 同じ病名がついても,その後の経過に差があるのはこのためなのです. 典型的な症例を集め標本数をだいたい揃えます.通常,脳腫瘍の中のグ リオーマと呼ばれるものを扱うときは,悪性度に応じて3段階のものを15 〜20例ぐらいずつ,合計45〜60例ぐらいを対象に研究を開始します.免 疫染色を用いてがん抑制遺伝子の産物である蛋白を検出し,その量を色 の濃さもしくは発現している細胞の数を基準として3〜4段階で発現率を 決定します.この後,統計解析を行って,3段階に別れた腫瘍の悪性度 と蛋白の発現率の関係を明らかにします.そして,何らかの差が見られ た場合には更に研究を進め,腫瘍の悪性化とがん抑制遺伝子との関係を 深く探っていきます. この様にして見つけ出した関係が,現在までに知られている知見と合 致しているのかを調べるためにPubMedというアメリカのオンライン MEDLINEを検索します.MEDLINEとは,1960年代からの世界中の医学論文 を検索するシステムです.キーワードを入力し自分の研究と同様の研究 が既になされているのか,そして,その結果はどの様なものなのかを調 べることが出来ます.そして,自分の行った研究が現在の最新知見の中 で,どのような位置にあり,どのような意義を持っているのかを考察し て,腫瘍の悪性化とがん抑制遺伝子との関係性に理論を付け加えます. この様に,得られた結果に理論を付け加えることで,結果の妥当性を証 明し,公開する行為が研究論文作成なのです.研究実験だけを行い妥当 性を検証せず,論文を作成しないのでは研究をしているとは言えないの です.しかし,すべての研究結果が新しい知見であり,人々の興味をそ そるものではありません.これが研究の辛いところです.努力をするだ けでは良い結果は生まれません.運を味方につけなくてはならないので す.「運も実力のうち」と言いますが,この言葉が最もマッチするのは 賭け事と研究でしょう.研究と賭け事はかなり似通った面があります. 当たると思ったネタに賭けて実験する.はずれる.そしてまたネタ探し をして実験する.これが研究です. 新しい知見を見つけ出そうと日々実験を繰り返し,やっと見つけ出し た研究成果に意義付けした後,研究者がしなくてはならないことは,論 文作成&論文投稿です.論文作成は,結構辛い作業です.日本語での論 文投稿は母国語なので,何とかなりますが,英語での投稿となると大変 です.辞書を片手に英作文をし続けるのです.また,他の英語論文を読 んで,使えそうな文をコピー&ペーストなんて事もやったりします.し かし,他人の文章をつなぎ合わせているため,文体がグチャグチャで, 自分なりに自分ぽい言葉に変えてつなぎ合わせます.この様にしてなん とか書き上げた論文を,今度は英文校正の業者に送ります.これは結構 お金がかかります.私の出している英文校正は,校正時間に対してお金 を支払います.と言うことは,私の書いた文章が悪文であればあるほど, お金がかかると言うことなのです. 英文校正の仕上がった後,修正箇所を直して投稿先(雑誌社)へ投稿 します.投稿先によって編集様式が異なるので,投稿規定というルール を読みながら,フォームを合わせるのです.投稿してから約1〜2週間ほ どで,投稿を受け付けた趣旨の手紙が来ます.その後,編集長が論文の 内容に応じて専門家に査読を依頼します.この査読者というのが第一の 壁として,論文作成者の前に立ちはだかります.査読者からの返事は早 くて1ヶ月,のんびり屋の査読者ですと3ヶ月以上返事を待たされます. 3ヶ月は結構長い待ち時間です.ラブレターの返事が3ヶ月後だったら, 誰でも頭にきますよね.「どっちでも良いから返事をくれよ」なんて思 ったりします.このように,どうでもいいやという気分になっていると ころへ返事が来たりすると,論文に対する愛着が薄れているため,査読 者から辛い言葉をもらうと,手直しする気も失せてしまいます.しかし, 研究者たるものこれではいけません.査読者に手直しを加えるように言 われた部分を調べあげて加筆し,もし必要ならば追加実験を行って論文 を仕上げます.リジェクトの手紙は不幸の手紙です.返事には必ず「不 運にも貴方の論文は当雑誌社では採用することが出来ませんでした.」 と書いてあります.とりあえず,その日は飲むのが一番でしょう.ふら れたとしても,あきらめてはいけません.論文を書き上げるまでに費や した時間とお金を無駄にしてはいけないのです.たいていの場合,英語 にさえなっていれば受け入れてくれる雑誌社があります.しかし,稀で はありますが,受け入れてくれない場合もあるようです.私の友人医師 は英語で論文を書きあげ日本の外国向け雑誌に投稿したところ「英語に する意味があるのか?」とリジェクトされたことがあるようです.とも かく,他の雑誌社に投稿するしかありません.リジェクトされる場合も, たいていはリジェクトした理由が書いてあり,このアドバイスに従って, 論文を修正すると更に良い論文に仕上がります.無理目のインパクトフ ァクターの高い雑誌社に投稿するのは,高いレベルの査読者の目を通し ,ダメではあっても参考となるアドバイスをもらい,自分の書いた論文 を完成度の高いものにするという狙いもあります.何とか論文を完成さ せて投稿し,再び待つこと数ヶ月,アクセプトレターが届くと,ホッと 一息です.この頃までには論文をはじめに書いた時から既に半年近く経 っています.日進月歩の医学生物学の世界で,半年待つのは遅いと思い ますが,こんなものです.結構待たされます.私の知り合いで「Nature Neuroscience」,「Nature Medicine」に載った先生方も,アクセプト までかなり待たされました.論文の世界も,白人優位社会です.これに 打ち勝って,論文を外国雑誌に乗せるのは,結構な労力を使うのです. 待たされることもあたり前です.掲載されればラッキーなのですから. このようにして,研究を進め,論文を作成し,雑誌に掲載してもらうの が研究者の仕事です. |